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interview

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第2回目(前半)「幸せと暮らしを支えるために」

インタビュー
北嶋さん写真

北島 由美さん

ベア・オリーブ株式会社
ベア・オリーブ訪問看護ステーション 管理者/看護師

事務局長写真

森川 悦明

聴き手
医療法人社団フォルクモア
事務局長

 

 

ご本人やご家族の自己決定を支えていくのが訪問看護
その方の生活や人生を、医師に伝えていく

訪問看護の時代が来たと感じ、子育てをしながら復職

森川
まず伺いたいのですが、北島さんは、どのようなきっかけで在宅の訪問看護の仕事に就かれたか、聞かせてください。
北島
私が、看護を学んでいた学生時代に担当した、がんの末期の若い女性の患者さんには、息子さんも娘さんもいらっしゃいました。その当時の看護教育には、「在宅看護論*1」などなく、がんの告知はしない時代でした。その方は「帰りたい」「こどもたちのことが心配」とずっと言っていたのですが、何とか願いを叶えてあげたいと思っても、在宅でという考えには誰も触れることができず、学生の私にはなすすべもありませんでした。
最初に勤めた大学病院の難病センターでは、ALSとかパーキンソン病などの重度の神経難病の患者さんが多かったのですが、人工呼吸器を装着すると一生病棟にいるという感じで、人工呼吸器を持って家に帰るということはありませんでした。いつか、この方たちが、自宅に帰れるようなシステムできるといいなと思っていましたから、2000年に介護保険制度ができて、そこから訪問看護が始まったときに、いよいよ患者さんの自宅に看護師が訪問して、お手伝いができる時代が来たのだと感じました。
そのころ私は、家で子育てをしていたのですが、合間の時間で訪問看護ができるといいなあと考え、まずケアマネジャーの資格を取りました。夜勤がなく、週末も家族と過ごせるなら、少し始めてみようと考えたのが、訪問看護を始めるきっかけです。2年間ほど看護協会の訪問看護ステーションでパートタイマーとして働いて、2004年からベア・オリーブで働くことになりました。

家庭を大切にすることで、続けられる訪問看護

森川
訪問看護という仕事を守るためには、どんなことが大切でしょう。
北島
ベア・オリーブでは、スタッフが「家庭を大切にする」ことを重視しています。自分の「私生活」がしっかりしていれば、そこに仕事がついていくという考えですから、スタッフが母親であれば、会社は子育て応援団になるという方針でいます。午前9時に出社して、3件訪問して終業というスタッフもいます。子供は育っていくわけですから、追々、仕事の量を増やしていくことができます。逆に家族の介護で仕事量を減らすこともあります。そうしたライフワークバランスを保ちつつ続けていけるのが、訪問看護の利点だと思います。
森川
訪問看護には夜間の緊急出動もあり、気が休まらないことはないですか。
北島
夜間は、10名のスタッフのうち5名が、携帯電話を携行していますが、それぞれの事情に合わせて、こどもの関係で週に1回携行するスタッフもいるし、土日を集中して受け持つスタッフもいます。夜間出動したときは、翌日の勤務を調整して、体調管理を心がけています。
夜間出動で一番多いのは末期がんの方や、医療器の使用している方からの容態の変化があったときなどの要請ですが、病状に応じて予想がつく場合は、昼間のうちに医師と相談し、急変時はどうするといった対応を決めておきます。夜間に働く人は少ない方がいいので、あらかじめご家族とも情報を共有して、何かあったときにご家族にできることを指導し、ケアできる力をつけてもらったりもしますが、これも大事なことだと思います。夜間緊急の対応は緊張もしますし、スタッフの負担にもなるのですが、夜間対応をなくしては在宅を支えられないので、たとえば、夕方にもう1回訪問しておくなど、いかに昼間のうちに解決していくのかということを心がけています。

お着物を着て旅立たれた、患者さんのご家族の言葉が原点に

森川
沢山の患者さんとご家族の人生に立ち会われたと思いますが、印象に残っているエピソードがあれば、聞かせてください。
北島
末期がんを患い、レビー小体型認知症のために夜間の睡眠障害が激しい70歳代の男性の患者さんを思い出します。入院中は身体拘束も受けて寝たきりだったのですが、ご家族がご自宅で看ていきたいと引き取ったものの、直ぐに介護がままならない状態に陥ってしまい、再度、入院することになってしまいました。
月日が経ち、患者さんが食べることができなくなった頃、ご家族が私のところに相談に来られました。点滴も夜中のたんの吸引も必要という状態で、「病院からは家に帰るのは無理と言われたが、家族で何とかできる方法はないか」というご相談でした。明るいご家族で、「お父さんの認知症が進んで、もう私たちのことは分からないかもしれないけど、家族と一緒に過ごさせてあげたい」というお話だったので、私たちが病院に出向いてご家族のご意向を伝え、退院調整をして、ご自宅に帰ってこられました。病院ではないので、頻回なたん吸引や点滴はできませんでしたが、ご本人はご家族に見守られ、穏やかな生活の中で逝かれました。
お別れには、皆でお正月に男性が着る仕立てたばかりのアンサンブルのお着物を着せてさしあげましたが、奥様が「あの時、北島さんが背中を押してくれなかったら、こうやってお父さんを自宅で看取ることはできなかった」と言って、私を抱きしめてくださいました。その時のお言葉は、今も私の中に強く残っていて、「その方とご家族が何をなさりたいのかを考える」という、私の訪問看護の姿勢の原点になった出来事だと思っています。
森川
とても心が温まるお話しですが、訪問看護という医療を行っていて、難しいと感じる場面も沢山あると思います。
北島
ご本人が選んだことが、結果として病状の悪化につながることもあります。患者さんのご意向を尊重したい気持ちの一方で、医療人としては別の方法がよいと思うことがあり、患者さんの「自己決定」を大切にしていきたくても、その決定でよかったのかと、悩むこともあります。答えは一つと限りませんので、私たちにもっとできることがあったのではないかとスタッフと振り返り、できるだけの支援ができるように取り組んでいます。

 

 

※1 在宅看護論は、1996年に看護基礎教育に位置付けられた比較的新しい科目。在宅看護は、疾病や障害、加齢に伴う変化などを有するすべての人が自宅やそれに準じた環境で生活できるように看護実践を行うこと。患者や療養者を「人々」と捉え直し、さらに病院か施設か自宅かそれ以外かと分けて捉えるのではなく、本当の意味での患者中心の看護を目指すもの。
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